真宗大谷派  鳴沢山 隆勝寺
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感話のコーナー

東北地方太平洋沖地震で被害にあわれた関係の皆様に、心より御見舞申し上げます。

この度の地震を経験し、数年前門徒様より頼まれて書いた良寛和尚の言葉を思い出す。

地震は まこと に大変に候。 野僧草庵 何事なく候。

親類中死人もなく めでたく存じ候。
うちつけに 死なば死なずてながらへて かかる き目見るがわびしき。
しかし、災難に う時期には 災難に逢うがよく候。

死ぬ時期には 死ぬがよく候。
是はこれ 災難をのがるる 妙法 みょうほう にて候。

文政11年(1828)三条大地震の際に、被害のなかった良寛が、被災地の知人に宛てた手紙である。
 「災難に逢う時には、逢えば良い。死ぬ時には、死ねば良い。」とは、今、被災された方々にこんなことを言えばどんな非難を受けるかわからない。童子と毬つきをしている良寛からは想像もできぬ厳しい言葉である。
 この度のような災害状況に人間の無力さを痛感させられた。一方、無力だとわかっていても何もせずにはいられない気持ちもある。その葛藤の中で右往左往しながら日々を過ごしてきたが、良寛の悟られた究極の生、そして「覚悟して生きよ」と外に向かって躊躇なく発信したことに目を覚まされる思いである。
 苦しいときには温かい言葉がありがたい、しかし、同じ境遇を経験していない言葉はうわべだけの同情に過ぎないのかもしれない。被災していようがいまいが、共通しているのは「今 生きている」ということ、その課題に淡々と語りかけている文言である。
  「万行の小善きらいつつ・・・」と親鸞聖人が詠んだことも同じなのかもしれない。  豪雪で始まった2011年。その雪も消え、花々が咲き、今、緑色増す季節となった。 自然は地震の悲しみに無関係に、いつものように来て、いつものように過ぎて行く。
 自分のいのちは今人生のどの季節を生きているのか。無常を生きる、その覚悟のほどを 自分にも問いかけてみた。        (住職記 5月)