真宗大谷派  鳴沢山 隆勝寺
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感話のコーナー

 門前の銀杏の葉もすっかり落ち、寺の松の雪つりも完了。山形ではいよいよ積雪の季節を迎えようとしています。
 朝の掃除を終え、庫裡で一服しながら外を眺め「落ち葉掃きも今日で最後かな」などと思っていると、40〜50才くらいの濃い色のコートを着た一人のご婦人が参道を通って行かれました。本堂脇の供養塔にお参りされています。線香を焚かれた後、立ったまま、やや頭を垂れ合掌しておられます。1分か2分、それ以上だったかもしれません、ずいぶん長い時間その姿で拝んでおられました。
 時間が止まり、音もなく、まるで一枚の写真を見ているような、ただ線香の煙だけがたゆたっている。冬の澄んだ光の中に溶け込み、ひとつの風景として美しく映っていました。
 他にも印象に残っているお参りの様子があります。犬と散歩の途中、山門の中央で本堂に向かって合掌している姿、命日におばあちゃん、お嫁さん、孫さん3人で本堂に正座してお参りしている姿、小学校入学の報告でしょうか、4月にはランドセルを背負ってお墓に向かっている親子。いつまでもそんな風景が続いてほしいものです。

 新年を迎え、初詣の時節です。みなさんは神仏に何を願うのでしょうか?
「健康で元気にすごせますように」「幸せでありますように」「受験に合格できますように」
願いは様々だと思いますが、そこには「不安」が潜んでいるような気がします。
 私自身、難題を控えている時には「無事に暮らせますように」と願うことがあります。「仏様には願い事はしない」と幼少の頃教えられたのを覚えておりますが、いまだに願わずにはいられない自分、不安を抱えた自分がいます。
 仏様が何とかしてくれるわけではないのですが、じっと掌を合わせていると「無事に暮らすとはどういうことだ?」と仏さまの方から問いかけられている気がします。
「無事」とは、何もないことではなく、困難にくじけず、目の前の山も谷も壁も乗り越えてまたここに立つこと、またここにおれたという結果が「無事」であるということだと思うのです。仏さまには困難に向かう覚悟とその勇気を与えてもらうのだと思うのです。
 2011年は本当に困難な年でありました、未来はもっと困難なことが待ち受けているのかもしれませんが、覚悟と勇気をもってのりこえられるよう祈りたいと思います

12月 住職